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〈改憲の是非を問う国民投票に
どう向き合うべきか〉
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   更新:2006/12/15
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〈改憲の是非を問う国民投票にどう向き合うべきか〉
─住民投票史にも触れながら
今井 一
わが国の住民投票のさきがけ

 1949年から51年にかけ、広島市や長崎市など18の自治体で、憲法95条に定められている「地方自治特別法の制定要件としての住民投票」が実施された。
 例えば、横須賀・佐世保・呉・舞鶴の四市においては、50年4月22日に国会がこの4市にのみ適用される「旧軍港市転換法」(軍転法)を議決した後、同年6月4日に同法の制定に同意するか否かを自治体主権者に問う住民投票が行なわれている。
 軍転法は第1条で「この法律は、旧軍港市(横須賀市、呉市、佐世保市及び舞鶴市をいう。以下同じ。)を平和産業港湾都市に転換することにより、平和日本実現の理想達成に寄与することを目的とする」と記しているが、横須賀では投票率69.1%で賛成票90.8%、佐世保では投票率88.9%で賛成票97.3%というように、4市そろって市民の多数が制定に同意した。
 それから4半世紀の時を経て、立川市では軍転法の住民投票にヒントを得た市民が、同市の4分の1を占めていた米軍基地の跡地利用に関し、主として自衛隊の基地とする(政府案)のか、公園・大学・住居地などの「全面平和利用」とする(市民案)のかについて、これを市住民投票で決めようという動きを起こす。彼らは、市有権者の13.1%の連署を添え、住民投票を実現するための条例の制定を求める直接請求を行なうが、市議会はこれを拒んだ(79年2月1日に本会議で否決)。
 その翌年、高知県窪川町で動きが起こる。80年の12月議会において、宮内重延町議が提案者となり「原発設置」に係る住民投票条例を提案。反対多数で否決されたが、翌年、四国電力の原発誘致に対する動きを理由にリコールされた藤戸進町長が、出直し選挙において「原発立地に関する町の意思は住民投票で決める」と約束し、町長に返り咲いた。藤戸氏は82年の6月議会に「窪川町原子力発電所設置についての町民投票に関する条例」を提案。これが可決され日本初の住民投票条例が誕生した。
 そしてその13年後、1995年の10月に窪川町の条例を参考にした住民投票条例が新潟県巻町で制定される。

◆巻原発・住民投票

 自主管理投票の実施、住民投票条例制定を公約に掲げての町議選への参戦、住民投票に反対する町長のリコール、出直し町長選挙での圧勝等々、住民投票の実現を望む多くの町民の粘り強い運動の末、96年8月4日、新潟県巻町で条例に基づく日本初の住民投票が実施された。
 主権者である町民に問われたのは、東北電力が町内の角海浜および五ヶ浜地内に計画していた原子力発電所の建設に賛成するか否か。投票実現までの「助走期間」が長かったこと、全国的な注目を浴びたこと、賛否両派が熱心なキャンペーン合戦を展開したことなどから町民の意識は高まり、投票率は88.29%に達した。結果、投票者の60.85%(有権者総数の53.73%)が反対票を投ずるという明確な民意が示された。
 住民投票を執行した笹口孝明町長はその後、投票実施の際に自身が行なった「反対多数なら町有地を東北電力に売却しない」という約束を履行すべく、原発建設予定地内の町有地を、41人(名義上は23人)の町民に売却。これにより、03年12月、東北電力は巻原発建設計画の撤回を正式に表明した。
 この歴史的な住民投票から10年が経過した。御嵩町(産廃処理施設)、名護市(米軍ヘリ基地)、徳島市(吉野川可動堰)、上尾市(市町村合併)、岩国市(米軍基地機能の移転)等々、この間、全国各地で364件を超す住民投票が行なわれた(06年8月末現在)。実施件数は世界にも類を見ない驚異的な数で、そこだけをとらえれば、今や住民投票はわが国において市民自治を保障するための重要な手段として広く認知されるようになったといえる。

◆制度不備は是正されず

 

住民投票条例の可決・否決と実施状況 

1979年以降の議決件数に占める直接請求、議員提案、首長提案の内訳 及び その可決率 

巻町(96年8月)以降に実施された住民投票364件中、合併関連のテーマが占める割合
(「合併の是非を問う住民投票が実施、開票され、「反対」が多数を占めました。費」の他に「合併特例区長候補の選出」「合併協設置の是非」などを含む)

 ただし、364件のうち348件が市町村合併をテーマとしたものだ。これは、「飴と鞭」を内包した合併特例法の失効(05年3月末)が迫るなか、自治体としての最終的な結論を引き出す手段として住民投票を活用した市町村が03年から05年にかけて急増したことによるもので、このケースの住民投票の増大は05年1月にピークアウトしている。
 かくして、実施件数急増の陰で放置されたままになっている住民投票をめぐる制度の不備が、今また顕になりつつある。それは、立川市を皮切りにかつて北海道や神戸市、人吉市、大洲市、静岡市、柏崎市等々数多くの自治体住民が直面した、どれだけ多数の有権者が連署し(有権者の過半数という事例もある)住民投票条例の制定を請求しても、議会の多数派は「衆愚政治になる」とか「間接民主制を否定する」などと言って実施を拒むことができるという制度のおかしさで、立川での否決から27年経った今もこの欠陥はまったく是正されていない。
 議会の多数派による拒否権発動がこの先も蔓延る可能性は高い。現に05年6月以降、沼津市(鉄道高架化事業)、滋賀県(新幹線駅建設)、吹田市(JR貨物駅の移転)など10を超す自治体で住民投票の実施を求める直接請求が拒まれている。
 もう一つ。わが国の条例制定に基づく住民投票の場合、結果に(国や他の自治体に縛りをかける)法的拘束力がないということから生ずる問題がある。名護市、岩国市、徳島市などでは主権者の多数意思が投票結果で示されたにもかかわらず、案件が「国策にかかわる」「国と県の事業であり市は関係ない」という理由で、国や政府は基地建設や基地機能の移転、可動堰建設を進めようとしている。
 こういった問題は今に始まったことではなく、30年前から存在している。そして、このまま制度不備が放置されれば、それは市民自治達成の阻害要因となり続けるだろう。

◆国民投票の活用を望む

 実施された住民投票の96%が市町村合併をテーマとしたものであるとはいえ、地域の将来を左右する重要課題の決定に多くの自治体が住民投票を活用したという事実を肯定的にとらえたい。一昔前なら、首長や議会の多数派だけで合併するか否かを勝手に決めていたはず。巻町で示されたような、そんなことを認めない、許さない地域社会が近年、日本各地に増えつつあるのではないだろうか。
 実施件数の急増は、そうした主権者意識の反映にほかならず、「朝日新聞」や「NHK」など報道機関の世論調査によると、国や自治体の重要課題の決定に際して国民投票・住民投票を活用したほうがいいと考える人は全体の8割に及んでいる。にもかかわらず、「憲法改正の是非を問う国民投票」に関する国民の理解はきわめて浅薄な状態に止まっている。

 国会でどれほど多数を占めても、議員は「憲法改正の発議(国民への提案)」しかできず、「第1条」であれ「第9条」であれ、改憲するか否かの最終決定権は、主権者である国民が握っている。国民投票の結果、賛成多数であれば「改憲」となり、反対多数となれば「改憲されない」ということになる。この投票は私たちの最も重要な主権行使の機会だといえるが、そのルールとなるのが、近い将来制定される可能性が高い「憲法改正手続法」である。

◆国民投票のルール設定

 かつて発表された「憲法調査推進議連案」(01年11月)や「与党実務者会議報告=旧与党案」(04年12月)は、「報道規制」、「発議・投票方式」などいくつかの項目で合理性に欠ける規定になっていた。そのため、日弁連や日本ペンクラブなどさまざまな団体や個人から厳しい批判を浴びていたが、06年の通常国会で自公両党及び民主党から提出された各案は、いくつかの点で専門家による批判や助言を汲み取り、諸外国での調査を生かしたものになってている。
 例えば、自分たちの考えを主張して改憲賛成あるいは反対への投票を有権者に訴える運動は、戸別訪問を含めて原則自由となったし、外国人による運動を規制することもない。また、テレビ、ラジオによる「広告放送」は一定の制限を受けるが、報道は一切規制されない。一時、衆議院憲法調査特別委員会(中山太郎委員長)の主要なメンバーから「虚偽報道には罰則規定を」といった意見も発せられたが、「虚偽であるか否かを誰が判定するのか」「言論には言論で対抗するのが本筋」という院内外からの批判に促され、報道は規制せずという結論に達した。
 また、当初から問題視されていた投票方式については、異なる複数のテーマについて賛否を問うときは、一括してではなく憲法改正案ごとに投票するとしている。つまり、「9条改憲」と「新たに環境権を明記するという改憲」とをワンセットにして国民にその賛否を問うといったことはできなくなる。
 「投票権者の範囲」に永住外国人が入っていないことや、成立要件に最低投票率が設けられないことなどに対して、納得がいかないという人もいるだろうが、全体としてはスイスやフランスなど各国の規定と比較してもおかしくない、概ね常識的なルール設定が(憲法調査特別委員会のイニシアチブで)なされようとしている。

◆国民投票は改憲の是非を決するもの

 それでも、9条護憲派の中には、国民投票法制などを含む「憲法改正手続法」の制定は9条改憲を為すためのものだから、たとえまともな中身になろうが反対し続けるという人が少なくない。
 憲法改正手続法の必要性を説く国会議員、及びそれに賛同する議員の多くが9条改憲の意図を持っているのはまちがいないだろう。しかし、だからといってこのルール(手続法)に則り実施される国民投票を「9条改憲のためのもの」と断ずるのは国民投票制度の本質を歪めている。「改憲」「護憲」は主権者の投票(多数意思)によって決まるものであり、誰がどういった項目の改正発議をしようが、この先実施されるあらゆる国民投票は、「改憲のため」ではなく主権者が「改憲の是非を決するため」のものとなる。
 きちんと認識しなければならないのは、1条であれ9条であれ、それを護りたい人のみならず、改めたい人もまたこの国の主権者であり、共に国民投票を通して改憲の是非を決める権利を有しているということだ。したがって、自分たちが考えるところの「憲法改悪」という事態を招く可能性があるから国民投票に係る法律を制定させないと言い張るのは、御本人らが護持すべしとする日本国憲法(96条)によって保障されている「国民の制憲権」を否定するものであり、国民主権の精神を損なう姿勢でしかない。

◆主権者による政策もしくは世界観の選択

 護憲派の集会などで土井たか子氏は、「憲法改正」ならいいけど「憲法改悪」は許さない。[手続法の制定→改正の発議→国民投票の実施]は「憲法改悪」につながるもので、それは日本の民主主義・平和主義を壊すことになるから反対すると発言している。
 政党、政治家がある改憲案について、発議前あるいは発議後にそれを「悪」だとか「正」だとか主張するのは当然のことだし、「憲法改正の発議権」を持つ彼らには改憲案を国民にわかりやすく分析・解説する責務がある。しかし、主権者がそうした主張を吟味しつつ選択をする国民投票のルールについて、「悪」を阻むためという理由でその設定に反対することは筋が違っている。
 土井たか子氏のみならず、オーソドックスな9条護憲派の中にはそうした筋違いの主張をしている人が多いが、そのような姿勢をとり続ける限り、本稿の冒頭で紹介した「国民投票・住民投票の活用」に肯定的な多数の自覚的市民からそっぽを向かれることになるだろう。
国民投票による主権行使の本質は、賛否を決める投票の対象となった政策もしくは世界観について、そのどちらが正しいかを投票によって判定するものではなく、どちらをとるかを選択するものだ。
 例えば「9条改憲」が国民投票の対象となった場合、「軍隊を保持するのか、保持しないのか」「国の交戦権を認めるのか、認めないのか」といったことについて、そのどちらをとるのかを国民が主権者として選択するということなのだ。
 この国民投票で問われるのは「9条改憲の是非」だが、それは一人ひとりの主権者自身が抱く世界観、人生観が問われることにほかならない。

◆スイスの事例

 この「選択」ということについて、近年行なわれたスイス、フランスでの国民投票の事例を具体的に紹介しながら話を進めたい。
 04年2月にスイスで実施された国民投票を取材すべく、私はベルンをはじめいくつかの都市に足を運んだ。このとき、投票の対象となったテーマは以下の三つ。
(1)自動車道路建設案に関する連邦議会総会の対案に賛成するか否か?
(2)賃借り法修正案に賛成するか否か?
(3)「治療不可能で極めて危険な性的・暴力的犯罪者に終身刑を課す」という国民発議に賛成するか否か?
 この国民投票に際し政府と議会の多数派は、主権者に対して[(1)賛成 (2)賛成 (3)反対]と投票するように呼びかけたが、結果は真逆の[(1)反対多数 (2)反対多数 (3)賛成多数]となった。
 開票直後の8日夕刻、記者会見場に現れたジョセフ・ダイス大統領(当時)と2人の閣僚に向かって、ある記者が「あなた方の訴えとまったく逆の結果が出たが、ちょっと問題ではないか?」と発言した。これに対して大統領は「何が問題なのでしょう?国民が示した意思に私たちが従わなければ問題ですが、そんなつもりはありません。スイスの直接民主主義が現代でもなお脈々と生き続けているということを世界の人に示してみせた。それだけのことであって何も問題はありません」と反駁し席を立った。
 直接民主制の長い歴史を持つスイスならではのやり取り。政府や議会は自分たちの主張・提案が受け入れられなかったからといって、国民が誤った判断をしたなどと言うことは決してないし、当然のことながら投票結果を立法や行政に具体的に反映させることになる。
 紹介した国民投票は政府側が多数を獲得できなかった事例だが、ときには市民側が国民発案(イニシアチブ)を仕掛けながら少数派に止まる場合もある。
 平和活動家の集まりである「軍隊のないスイスをめざすグループ」は、89年と01年の2度にわたりイニシアチブに必要な10万人以上の署名を集め、「スイス連邦軍全廃」の提案を行なった。これは、「国民皆兵」という現行憲法改正を伴う提案であったが、国民投票において二度とも多数を獲得することができなかった。スイス国民の多くは「日本国憲法9条」の精神と合致する「軍の全廃」という道を選択しなかった。ただし、賛否両派のキャンペーン期間中、国民は「戦争・平和・防衛」について、じっくりと考え、話し合う機会を得ることになった。このことの意義は大きい。
 日本では、自分たちが多数を制する可能性が高ければ、住民投票や国民投票の活用に賛成し、可能性が低ければ活用に反対するという安物の政党や政治家が目に付くが、スイスではまったく違う。政府の側も市民の側も多数を制することができそうにない、あるいはできなかったからと言って、国民投票制を廃止しようなどとは決して考えない。それは、彼らが国民の主権行使について深く理解し、自分たちの主張が立法や行政に取り入れられることより、主権者の意思を確認しそれを取り込む制度を保障し活用することを優先すべきだと認識しているからだ。

◆フランスでの事例

 フランスでは05年初頭の段階では「EU憲法の批准を為すための法律の制定」について議会の圧倒的多数が賛成し、世論調査においても国民の過半数の支持を得ていた。そして、オランダ、イギリス、ポーランドなどいくつかの国では、同年夏から翌年にかけて「EU憲法批准の是非を問う国民投票」の実施を予定していた。こうした状況の中、フランスのシラク大統領は強い説得力をもってこの法律を批准し、EU内でのリーダーシップを堅持しようといった政治的思惑から、実施義務がないにもかかわらず批准の是非を国民投票で最終決定することを提案し、「5月30日投票実施」の大統領令を発した。
 この国民投票では社会党の左派と共産党に加え極右政党なども「批准反対」に回ったが、これは議員全体の3割ほど。政党・議員の勢力だけで考えれば、批准賛成派が多数を制するのはまちがいないと思われた。ところが、投票日が近づくにつれ反対派が急速に勢いを増し、結局、[55%対45%]の大差をもって反対派が多数を制した
 メディアが行なった調査などで、誰が賛成票を投じ誰が反対票を投じたのかが明白になった。パリに住む高学歴、高収入の経営者、自営業者、公務員、民間企業の労働者の多くは賛成。同じパリでも低学歴、低収入の人たちや移民労働者の多くは反対。そして、工場労働者をはじめとする地方に住む低学歴、低収入の人たちのほとんどは反対に投票した。
 賛成に投票した人たちは、例えば、「1つのヨーロッパ」という理想に向けての壮大な試みを前進させるためにEU憲法の批准を為すべきだと考えた。反対に投票した人たちは、批准によって東欧諸国(旧社会主義圏)の安い労働力がいっそうフランスに流入し、自分が仕事を失ったり賃金が低下することを恐れた。
 おわかりだと思う。この国民投票は「EU憲法の批准を為すための法律の制定」に賛成することが正しいのか、反対することが正しいのかを判定するものではない。賛否どちらに投票するのが正しいのか、賢明だと言えるのかについて、学者や政治家、評論家らがさまざまな主張を行なった。それでも、投票は一人ひとりの主権者がどちらを選択するかを意思表示するものでしかなかった。
 パリ大学で教鞭を執る私の友人(フランス人・女性)は、どちらに投票すべきか大いに悩み、賛否両派の主張を積極的に調べて検討すると同時に、友人らとの意見交換も欠かさなかった。そして、最終的に「賛成票」を投じたが結果は「反対多数」。それでも彼女はこう話す。
「私の投票とは違う結果になったけれど、議会と大統領の意思だけで批准せず、国民投票を実施したことは良かったと思う」
 彼女は、工場労働者など低学歴、低収入の人たちの多数が反対に投票したことについて、それが「愚かしい」とか「間違っている」というふうには考えていない。その事実を「立場上当然のこと」として受け止めている。
 地方の工場労働者たちは、批准に反対することがフランスやヨーロッパのための「正しい」行いだと考えて反対票を投じたのではない。「一つのヨーロッパ」を前進させるためには批准に賛成することが正しいのかもしれないが、その前進によって自分や家族の暮らしが経済的に破綻する可能性が高くなるなら賛成するわけにはいかないと判断したのだ。「彼の社会的存在が彼の意識を規定する」という言葉どおり、高学歴高収入の人たちにとっては賛成票を投ずることが合理的であり、低学歴低収入の人たちにとっては反対票を投じることが合理的であったということだ。それで反対票が多数を占めたわけだが、だからといって「批准しないことが正しい」ということになるわけではない。政府、大統領が批准しないことにしたのは、それが「正しい」と考え直したからではなく、「主権者(投票者)の過半数が批准しないことを選択した」からにほかならない。
 建国以来一度もやったことがない私たち日本人にとって、スイスやフランスが育んできた国民投票の精神を理解するのはやや難しいかもしれない。しかし、私たちは住民投票については経験を重ねてきており、そこから学び取るなどして理解を進めなければならない。

◆国民投票にどう向き合うべきか

 国民が選んだ国会議員の各院3分の2が賛成して初めて改憲の発議ができ、最終的には国民投票で私たちが決めるという「改正手続き」は、諸外国と比較してもハードルが高い。 にもかかわらず、解釈改憲が加速度的に進む「9条」問題の国民投票での決着に反対する9条護憲派は少なくない。その理由の一つとして「(自分はわかっているが)大多数の国民は不勉強であり愚かしい判断をする可能性が高い」という彼らの認識がある。公正なルールのもと、厳格な制度のもとにおいても、国民が賢明な判断ができない。「国民の主権行使を実施することが憲法改悪につながる」というのであれば、それは国民投票という制度が悪いのではなくて、国民に問題があるということだ。
 だとしたら、とるべき道は、(1)国民投票制を廃して、「改正の是非の最終決定権」を国会に委ねる。もしくは、(2)国民投票制を存続させ、理性的な判断ができるように国民が賢くなる努力をする──の二つ。
 国民投票や住民投票を実施しさえすれば民主主義を実現できるという考えは幻想でしかない。間接民主制において議員が時として民主主義を損なうように、直接民主制においても市民が過ちを犯す可能性は当然ある。それでも、この国の民主主義・国民主権を前に進めるためには後者の道をとるしかないと私は確信している。
 理性に満ちた道を選ぶのか衆愚に陥るのか、それは私たち市民の智慧と勇気にかかっている。

※自治体名はいずれも当時のもの
筆者プロフィール
今井 一(いまい はじめ)
ジャーナリスト。 「[国民投票/住民投票]情報室」事務局長。
著書に『「憲法九条」国民投票』(集英社新書)、『「九条」変えるか変えないか―憲法改正・国民投票のルールブック』)(現代人文社)、『住民投票 ─観客民主主義を超えて─』(岩波新書)など。

 
 
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