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マガジン9条 伊藤真のけんぽう手習い塾
「第四十回 憲法改正手続法その5」 に対する批判的意見
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   更新:2007/03/01
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◆本サイト連載の「イヤでもわかる!国民投票法案」でおなじみの南部義典氏が『マガジン9条』「伊藤真のけんぽう手習い塾」http://www.magazine9.jp/juku/index.htmlに掲載された解説に対して、これを批判する原稿を寄せられました。今回、その全文を掲載します。
 
マガジン9条 伊藤真のけんぽう手習い塾
「第四十回 憲法改正手続法その5」 に対する批判的意見
南部 義典(http://blog.livedoor.jp/nambu2116/


マガジン9条ウェブサイトにおける連載、伊藤真のけんぽう手習い塾「第四十回 憲法改正手続法その5」は、憲法改正の成立要件として「有権者数」を基準とする過半数の意義と、最低投票率の設定をすべきことが中心に論じられています。
本内容に関して、いくつかの看過しがたい主張があります。この際、「批判的意見」として、明確に意見を述べておきたいと思います。

まず、筆者は最高裁判事国民審査(憲法79条2項)を引き合いに出しています。
しかし、憲法96条1項前段は国民の「承認」を求めています。罷免を「可」とするかどうかの最高裁判事国民審査と憲法改正国民投票とでは場面が180度違うわけですから、意味のある例示とは思えません。

最高裁判事国民審査の法的性質をどうみるかという論点と、最低投票率を設けるべきかどうか、過半数の意義をどう考えるかという論点はまったく別物です。

「では、憲法改正の国民投票はどうでしょうか。これらと同じように、積極的に反対という票がどれだけあるかが問題となるだけでしょうか。もし、この国民投票の意味を、国会議員が国民の代表者として改憲の発議をしたときに、この発議に対して、国民が自分たちの意思を正しく反映していないと考えてそれを拒否できるとしたものにすぎないと考えると、最高裁判所裁判官の国民審査と同様に、積極的な反対の声がどれほどあるかだけが重要ということになります」

「つまり、投票率20%、その過半数の賛成つまり有権者の10%強の賛成であっても、積極的な反対は有権者の10%弱しかなかったということになりますから、国会の発議どおりの改憲をしてもかまわないということになります」

筆者は、上記第一段落では、最高裁判事国民審査と憲法改正国民投票の法的意義・性質について触れていますが、第二段落では、最低投票率、過半数のレベルの議論になってしまっています。

もし、憲法改正国民投票において、積極的な「反対」の投票意思を基準とするべく、「反対」であれば「×」を自書し、「賛成」は白票を投ずるという制度をつくった場合でも、最低投票率を50%、60%と設定することはできます。積極的な「反対」がわずかであったとしても、最低投票率制度によって憲法改正の成立を阻むことができるので、国会の発議どおりの改憲をしてもかまわないという結論は導き得ないと考えます。「つまり」でつながる文章ではないはずです。
これは、最高裁判事国民審査と憲法改正国民投票の法的意義・性質、投票用紙への記載方法、最低投票率、過半数の意義の諸論点を混同した議論です。
そもそも、最低投票率の是非を論じる場面で、例として適切かどうか甚だ疑問です。

「憲法制定権者である有権者がどれくらい、積極的に改憲に賛成かが問題なのですから、国民投票の過半数というのは、有権者の過半数であることが論理必然」、

「最低投票率の定めはむしろ憲法の要求するところ」

と伊藤氏は述べています。

有権者の過半数であることが論理必然であるとしていますが、どのような論理でこのような結論が導かれるのか、説得的ではありません。
投票所に行かず、投票箱に入っていない投票(棄権票)を、どうして国民「投票」で勘案することができるのか、さらに憲法改正案に反対の場合に、棄権をすることと、実際に投票所に行って反対票を投じることが同じ扱いになることの不合理さなど、これは「過半数」の意義の解釈として最も弊害の大きい見解です。

最低投票率については、筆者の主張通り、憲法の要求するところであれば、なぜ現行憲法は明文規定を置いていないのか、明文規定を置いていないことを筆者はどう評価しているのか、憲法は誰(何)に対して、何を要求しているのか、を明確に主張すべきです。

最低投票率は、憲法改正の成立要件に関わります。
私は最高規範である憲法について、下位規範である法律(国民投票法)が当該改正の成立要件を規定することは、法制度的にありえない、論外の主張だと思います。
よく、住民投票で最低投票率が設けられていることを根拠に、憲法改正でもこれが必要だと主張されることがあります。
しかし、この場合は、条例に基づく住民投票の実施について、同じく条例で成立要件を定めているのであって、決して下位の規範に住民投票の成否を委ねているわけではありません。住民投票の最低投票率を、自治会長の会議で決めるなどというルールはありません。

すでに1年近く前の話になりますが、衆議院憲法調査特別委員会・理事懇談会における「論点整理」の中でも、法律レベルでの最低投票率の設定は「憲法上疑義がある」とされ、事実、与党案・民主党案ともに採用されていません。
私に言わせれば、法律レベルで最低投票率を設け、憲法改正の成立要件を法律でコントロールするというのは、憲法上疑義があるという以前に、憲法に対して非礼、失礼な思想・態度です。

憲法改正国民投票に最低投票率を設けるには、憲法改正を要します。
その旨、筆者をはじめ現在、最低投票率を必要と考える論者は、憲法審査会が設置されるのを待たないで、知り合いの議員を通じて「憲法改正請願」をしてはいかがでしょうか。憲法の要求するところであれば、憲法の「理念」に叶う改正になるはずですが。

筆者は、

「よって、最低投票率の定めはむしろ憲法の要求するところなのです」

と結論付けていますが、

「最低投票率または、絶対得票率(全有権者比で改憲に必要とされる得票率)を規定することは、96条が主権の行使として国民投票による憲法改正を要求したことから論理必然と考えます」
「憲法は、憲法改正は国民が主権者として行うものであるからこそ国民投票を要求しているのであり、国民のごくわずかの賛成で憲法改正が可能になるような制度設計をそもそも許していないと考えるべき」

という筆者の主張から導いているものに過ぎません。トートロジーです。

これは筆者に対してではありませんが、稚拙な議論だと常々思うことがあります。
それは、(憲法上規定のない)最低投票率を法律で設けるべきであると主張する人が、憲法改正原案の審査に係る両院協議会を設けるのは、憲法上根拠がなく、けしからんという主張している場面に出くわしたときです。これは主として、国民投票法の制定自体に反対の立場から出る主張です。
「憲法上根拠のない制度を、法律で設けることも許される」という立場と、「憲法上根拠のない制度を、法律で設けることは許されない」という立場とは、相反関係にあります。何でもかんでも批判をすればいいというわけではないことの一例です。

最後に、ボイコットキャンペーンについてです。
ボイコットキャンペーンそのものに対する評価と、ボイコットキャンペーンを憲法改正の成立要件に係らしめることの評価は別問題です。
棄権者は、憲法改正案に賛成なのか反対なのか、一律に決めることも、見做すこともできません。
しかし、筆者が要求するところの最低投票率との関係でいえば、憲法改正を成立させない、つまり投票者の棄権を「反対」と扱うことでの文脈で用いられているに過ぎません。

私はボイコットキャンペーンは自由だと考えますが(「国民投票運動」の定義にも該当しない)、最低投票率を設け、ボイコットキャンペーンをこれに係らしめることについては、一切の棄権票を「憲法改正を成立させないこと」に使うことになり、明らかに不当な主張だと考えます。

以上
2007/03/01


 
 
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