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小沢・福田両氏による「憲法解釈の大転換」合意を批判する
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   更新:2007/11/16
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小沢・福田両氏による「憲法解釈の大転換」合意を批判する
今井 一(本会事務局長)

2007年11月15日

 民主党代表の小沢一郎氏が、『世界』(07年11月号)に「今こそ国際安全保障の原則確立を──川端清隆氏への手紙」と題した論文を発表した。

 《日本国憲法第9条は国権の発動たる武力の行使を禁じています。国際紛争を解決する手段として、自衛権の発動、つまり武力の行使は許されないということです。したがって我々は、自衛権の行使(武力の行使)は我が国が直接攻撃を受けた場合、あるいは我が国周辺の事態で放置すれば日本が攻撃を受ける恐れがあるという場合に限定される、と解釈しています。
 しかし、一方において日本国憲法は、世界の平和を希求し、国際社会で名誉ある地位を占めたいと、平和原則を高らかに謳っています。そのためには、国連を中心とした平和活動に積極的に参加しなければなりません。それが憲法の理念に適うものだ、と私は考えています。
(略)
 私は、日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されないと解釈しています。同時に、国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っています。
 日本の国際社会への貢献、特に侵略あるいはテロに対する強制力の行使について、日本はこれまで、憲法を盾にとって一貫して消極姿勢をとってきました。私は、それは大きな過ちだと考えています。しかし同時に、日本国憲法の理念と第9条の考え方は、変える必要がない、むしろ忠実に実現すべきだと思っています。したがって、憲法の理念に従って、あらゆる分野で国際貢献を積極的にしていかなければならない、というのが私の結論です。》

 要するに、国連決議に基づくものであれば、たとえ武力行使を伴うものとなっても自衛隊の活動は9条違憲とはならないという考えだが、こうした主張は、湾岸戦争当時、自民党幹事長時代に彼が展開した持論とほぼ同じ。当時は大きな話題にはならなかったが、今回は衆参両院での新テロ特措法をめぐる与野党応酬の中で発表されたこともあり大いに注目された。それどころか、小沢氏はこの主張を具現化すべく、自民党との大連立に足を踏み出そうとした。
 結局、大連立は党内の了解を得られずご破算となったが、11月4日夕刻、「代表辞任」を表明する記者会見において、小沢氏はこう話した。

 「(11月2日の党首会談で福田総理は)政策協議の最大の問題であるわが国の安全保障政策について、極めて重大な政策転換を決断されました。・・・国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は国連安保理もしくは国連総会の決議によって設立あるいは認められた国連の活動に参加することに限る。したがって、特定の国の軍事作戦については、わが国は支援活動をしない。
 ・・・これまでの無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるだけに、私個人は、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断をいたしました。」

 このように語り、こうした判断を党の役員が拒んだのは自分に対する不信任だとして代表辞任を宣言した小沢氏。そんな彼を引き留める民主党議員の中には、「福田首相との合意は憲法解釈の大転換。さすがは小沢さんだ。歴史的な偉業を為しえたのに惜しいことをした」と彼を持ち上げ庇う人が何人もいた。おそらく、小沢氏自身が誰よりそう思っているのだろうが。
 私は連立を前提とした福田・小沢両人の合意が「憲法解釈の大転換」であったということに異議はない。だからこそ、許されないと考える。

 結局これは「解釈改憲」なのだ。「憲法解釈の大転換」と称する究極の解釈改憲。その解釈改憲自体が許されないことだが、それを、国民の承諾も得ず議会での議論も行なわず、たった二人でやってしまおうとしたのだから罪はなお重い。そこにあるのは密室の「ボス交」のみ、市民自治も国民主権も議会制民主主義も、まるで存在しない。

 憲法96条と憲法改正手続法に則った手続きを踏んで「憲法の転換(改正)」を目指すというのなら、最終的には主権者国民が決定権を行使するのだから、その動きを(市民自治・国民主権の観点からは)批判したりはしない。だが、「憲法解釈の大転換」を勝手にやるのは絶対に認めない。今回の件に限らず、憲法事項の決定はすべて、国民投票を実施して主権者の意思を確認しなくてはならない。

 「小沢提案」を実行するのに9条の改正は必要ない。したがって、国民投票の必要もなしと小沢氏らは考えているのだろうが、自他共に認める「憲法解釈の大転換」を図るのに、国民投票での主権者の承認を必須条件と考えるのは当然のことだ。

 本会メンバーの中には9条を変えたほうがいいと考える人もいれば、その必要はなしと主張する人もいる。会の性格からしても「護憲・改憲」どちらかの主張を押し出すようなことは決してしない。ただし、解釈改憲に対しては断固反対をする。なぜなら、護憲・改憲という観点ではなく、市民自治・国民主権の観点から考えれば、解釈改憲こそが最悪であるからだ。したがって、私たちは「憲法解釈の大転換」を勝手に図ろうとした今回の小沢氏の企みに対して強く抗議する。

 それにしても、国民投票法の制定に対して「改憲の一里塚」になるので反対だというキャンペーンを大々的に張ったさまざまな護憲勢力が、今回、小沢氏が為そうとした「究極の解釈改憲」に対しては、さほど強い批判や抗議も展開しないし、糾弾集会の類も行なわないのは不可思議だ。
 「憲法9条を変える必要はない」という一言があれば、その人は9条護憲派の一員であり、その人物がたとえどんなにひどい解釈改憲をやろうとしても免罪だというなら、それを批判しない人たちは「護憲派」ではなく「護憲派擬き」と呼ぶべきではないだろうか。



 
 
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